30歳になったのでいろいろ振り返ってみる
少しでも今の自分について知りたいと思いネットサーフィンをしていると、文部科学省のページにたどり着いた。
海外子女へ向けたページだが非常にしっくりくる内容が多かったので、後から見返す用に自分に当てはまる部分を抜粋して残しておこうと思う。
いやだけどトラウマを振り返ってみる
自分の場合の考えられるトラウマをざっくり書き出してみた。
幼少期(普通に元気)
- 常に両親が不仲。たまに普通に会話していると嬉しくなる
- 父親は子どもに無関心で、ほとんど接した思い出がない
- 感情的になりやすい母親のケア(カサンドラ症候群だったかも)
小学生〜大学生(いろいろある中でもまだ元気があった)
- なんとなく自分の家がまわりと違うことに気付き始め、自分の家の話をすることを避けるようになる
- 父親のギャンブルによる借金が発覚し、数年間別居
大学卒業後(とりあえず生きてるという状態)
- 弟が鬱を発症、引きこもりになる
- 婦人科系の病気を煩い手術、入院
- 父親の度重なる借金が原因でついに両親が離婚
- 離婚に伴い、10年ほど前に建てた実家を売却(母と一緒に内外装を考えた家だった)
- 父方の祖父からの絶縁宣言
書いていて辛くなってきた…
トラウマを掘り下げる
自分の状態を客観視するため、第2章 心のケア 各論:文部科学省を参考に、当てはまる部分を引用させていただく。
2. 外傷(トラウマ)への心理的反応
(1) 感情・思考の変化
信じられない出来事が起きたために、現実を受け止められない、何が起きたのか、どうすればよいのかわからない、ただ茫然としてしまったり、恐怖や不安に駆りたてられる気持ちで一杯になることがある。
一発目からわかりみが深い。
信じられない出来事の中で代表的なのは、借金発覚後に中学生の私の前で土下座してきた父親の姿かも。このときどうしていいか分からず、とりあえず表情に出したりしないよう、必死に自分を殺したのを覚えている。
事件を引き起こしたものに対して、怒りやいらいらが生じ、その出来事に対する感情が抑えきれなくなり、突然、涙がでてきたり、自分自身の責任であると考え、自分自身を責めたりすることもある。
父親が100%嫌いな訳ではなかったから、どうしていいか分からなかったな。
母親の味方もしないといけなかったから…
出来事について、全く考えることができない時期と考えすぎてしまう時期が繰りかえされる。
これは今でも続いている。
(3) 行動の変化
感情の変化が行動に表れる。怒りが爆発したり、ふさぎこんだりする。出来事を思い出す場所を回避したり、閉じこもったりする。安心を求めて添い寝を求めたり、母親から離れなくなることも多い。過食や拒食、薬やアルコールへの依存などの行動も起きやすい。
出来事を思い出す場所(元実家、祖父の家、父親の職場)は避けるようになった。
安心はいつも求めていて、いい年になっても、体調不良で母親を頼れるときは必要以上に求めていた記憶がある。
セックス依存ではないが、安心を求めてなのか父性を求めてなのか、10代後半から20代半ばごろまで、出会い系サイトで知らない男性と頻繁に会うようになる。
3. トラウマ反応と心の病気
(2) 社会生活への不適応――外傷体験を受け止めることができないこと、不安や恐怖、緊張などを自己コントロールできないことから、自己に対する信頼感が喪失する。
こんなことも自己肯定感に関係があるのか〜
また、他者からの援助も役に立たないと感じ、怒りなどの感情を周囲の人にぶつけたり、援助を断ることもある。家族の怪我、家屋の損失、失職などの諸問題から、生活の立て直しに追われ、人と付き合う余裕がなくなり、他者はこの心境をわかり得ないと感じ、孤立・孤独感を深めていく。
援助を断るというのはかなりある。
いろいろ起こる前から仲良くしていた幼馴染の女子が、事情を知ってから何度も電話やLINEをくれたけど、それら全部スルーした。もう3年くらいになるか…。その子の家は立派なお父さんがいて、何もかもうちとは違った。
会社の同僚からの飲みの誘いも全然乗り気にならず、それだけならまだしも「お気楽でいいよな」と心の中で恨み節を言う始末。ひねくれている…
(3) 精神的疾患――外傷体験のダメージが強いときや家族の怪我、家屋の損失、失職などの生活環境ストレッサーが重なることにより、うつ病、不安障害、恐怖症、心身症などの精神疾患が生じやすい。
朝起きて「あ、仕事行けない」と思う日が増え、2020年の冬からついに精神科に通うようになった。
うつ病は、睡眠障害を伴うことが多く、憂うつな気分になり、何事に対しても興味や関心がなくなり、食欲・性欲が低下し、悲観的、自罰的な考えとなり、生きていても仕方がないと思い、思いつめると自殺をする場合もある。
希死念慮はずっとあって、絶対実行できないとは思いつつも、自殺の方法について5ちゃんねるとかで調べていた時期があった。精神科に通い始めてからそこまでではなくなったからよかった。食欲はたまに爆発するが太らなくなった。薬の副作用もあってか、性欲は全くない。
4. PTSD (Post Trumatic Stress Disorder 外傷後ストレス障害)
PTSD (Post Trumatic Stress Disorder 外傷後ストレス障害)は、次のような4項目に合致する症状が、発症後一ヶ月を経過しても生じているときに該当すると診断される。
はい。
(1) 外傷の体験であること
自己や他者の生命や存在を脅かす危険を体験、直面または目撃し、その時の反応が強い恐怖や無力感、戦慄であった。
確かに何度かあった。
(2) 外傷の再体験
外傷体験を受けた時の記憶の障害により、その出来事が終わった後においても、本人の意思と無関係にその時の光景や恐怖の感情がよみがえる症状を外傷の再体験と呼ぶ。外傷の再体験には、次のような体験がある。
フラッシュバック: 突然襲ってくる外傷の鮮明な再体験で、その体験時の感情・身体感覚もよみがえる。恐怖体験を思い起こさせる刺激が引き金になることが多い。
家族がすべての根元なので、日常生活で家族の話になるとフラッシュバックすることがたまにある。
苦痛に満ちた悪夢: 夢の中で外傷体験が再現される。外傷体験そのものの夢であったり、関連するテーマの悪夢であったりする。眠ると何度も外傷体験や悪夢を見てしまうため、その恐怖と緊張を回避するために眠れなくなってしまう。
昨日も見ました^^
(3) 覚醒水準の上昇(過覚醒)
外傷の再体験により、そのときの不安、恐怖、緊張がよみがえり、交感神経系などが過活動となる。そのため、あらゆる物音や刺激に対して過敏に反応してしまい、不安で落ち着くことができず、眠れないなど、過度の緊張状態が継続する。この状態は、過覚醒と呼ばれる。過覚醒の症状には、次の症状が該当する。1 眠れない。
2 神経過敏、イライラ、怒り。
3 集中できない、そわそわして落ち着きがなくなる。
4 注意過剰、過度の用心、必要以上に常に怯えている。
5 驚きやすい、少しの刺激に過敏に反応する。
精神科に通うまでは2、3、4が特にあった。
どうにもならない状態、普通じゃない家族にいつもイライラしていた。やり場のない気持ちを被害者ぶってぶつけたり。今となっては母や弟に申し訳ないことをしたと思う…
3、4は気質の問題もあるとは思うが、薬を飲み始めてからかなり解消されたのでPTSDの症状でもあったんだろう。特に仕事のときが大変だった。夢の中でもよく焦ったり怯えたりしていた。
(4) 回避と麻痺
外傷の再体験や過覚醒などの不快な状態を避けるために、外界に対する活動や反応が低下し、感情の麻痺が生じる。
1 表情が少なくなり、ぼーっとしている。
2 話をしなくなり、引っ込み思案になる。
3 記憶力や集中力が低下する。趣味や仕事への関心が低下する。
4 生活全般にわたる活動の低下。食事などの基本的活動もできなくなることがある。
この症状は今でも顕著で、1〜4すべての項目に当てはまる。
1は小学校高学年〜中学生のころ、クラスメイトからよく「どこ見てるん?」と指摘されていたので自覚もある。また、写真を見返すとこの頃から笑顔の写真が減ってきている。
今は3、4に悩まされている。全くやりたいことがないし、やる気も起きない。
20代半ばごろまではファッションやイラストなど好きなことがあったが今はどうでもいい。食事も、食べるのも作るのも面倒くさく、最近は簡単に食べることができるパンが好き。
振り返ってみて…
思い出すことにも文章を書くことにも疲れてきたので、最後は傷をえぐられつつPTSDチェックリストをしてみた。こうして今の状態について分かりやすく言葉にしてもらうだけで心の整理になるな(かなり疲弊はする)。
明日は精神科。いつも「変わりはありましたか?」と聞かれて、あったとしても「特に何もないです」としか言う気力がないんだよな。話すこと自体が疲れてしまう。アイドルの質問返しではよく「誰かに話を聞いてもらうだけでも気持ちが晴れるよ!」と言っているけど、そんなこともないんだよなあ。辛いことの反芻作業になってしまう。
とりあえず寝よう。
家族3人で年越し
私の家系は親戚がとにかく少なく、親が離婚した今なんてほとんどいないに等しくなった。
もしかしたら会ったことのない微妙に血の繋がった親戚がいるのかもしれないけど、会おうとしても会えないと思うくらい遠い存在だ。
はじめての家族3人での年越しは、ささやかなものになった。私も母も年末まで仕事なので、大晦日は仕事終わりにコンビニやスーパーで各々食べたいものを買って帰り、いつもの時間に食べる。普段から節約が染みついている貧乏臭い家庭なので、奮発したとしても普段買わないお菓子があったり、少し缶チューハイがあったり、セブンの惣菜があったりって感じだ。あとは残り物でできた味の薄い鍋とか米とか。
年明けは毎年母の方の祖父母の家に、おせちを持っていく。おせちだけは私たち一家にしては奮発し、毎年1万5千円くらいのものを通販で頼む。
祖父母も全然裕福な訳ではないが、お正月は毎年ブリをまるごと買い、栗入りの赤飯を炊いて待ってくれている。今年も同じだ。
片道1時間半ほど田舎道を走り、今にも崩れそうな祖父母の家へ。すっかり腰が曲がってしまった祖母と、糖尿病の祖父が迎えてくれる。
祖父は腰の曲がった祖母をこき使う。祖母もそれに応える。私はそれを見るたび辛くなっていたが、ある日祖母が笑いながら「はよ死ねばいいのに」と言っていたので少しほっとした。
祖母をなるべく立たさないように私たち3人で料理を並べ、妙に彩度の高い正月特番を見ながら何でもない話をする。母の同級生の話、猫の話、私の仕事の話。祖父はいつも会話には加わらず、ストーブのそばの自分のスペースで犬とゆっくりしている。これがいつもの感じだ。私は未だに祖父とほとんど挨拶以外の話をしたことがない。
あまり長居すると祖母もしんどいし、祖父もイライラし出すので、3時間もしない間に帰ることにした。離婚し、家族3人でやっていくことになった私たちを心配しているのだろう。帰り際にはできる限りのたくさんの食べ物をくれた。お年玉も良い年をして3人とももらった。これで祖父母に何かお礼をしたいと思った。
帰り道、地元民しか来ないようなひかえめな神社があるので立ち寄る。古いお守りなどを納めて、お参りし、おみくじを引く。ここのおみくじは30円。お金を入れるとぽとんとひとつおみくじが出てくる。私は7年ぶりくらいの大吉だった。良いことが書いてあったので持ち帰ることにした。母は末吉、弟は吉。みんなも持って帰ることにしたらしい。神社からの帰り、細い道の向かいからヤンキーの男が車を飛ばしてきて、新年早々私たち弱き一家は死ぬところだった。
これで私たちの年越しイベントは終わった。次の日の2日には、ローカルで賑わうショッピングモールに行き、ハンバーガーを食べたり本屋をぶらついたり窓の結露吸水シートを買ったりした。なぜか、丸々として声の大きい健康そうな家族がたくさんいた。果物屋で柔らかくなった柿が5個100円で売っていたので買った。もう会うことのなくなった方の祖父がよくくれた柿だ。母に「便秘するよ」と言われたが食べたかったので買った。
日が落ちる前に帰宅した。いつもどおり、それぞれが担当の家事をする。正月気分が始まる前に現実に引き戻された気持ちだ。しかし、それでよかったと思う。長い休みが与えられたとしても、私たちはどこにも行けないだろうし、惨めさが増すだけだから。
残った味の薄い鍋にチゲ鍋のもとというものを入れたら美味しくなってよかった。そんな感じで、今年は一日一日を行きていこうと思う。おみくじにもそう書いてあった。
ノンセクシャルになるまで
4年前の日記が下書きに保存されていたので公開してみます。30歳の今もこのときから何も変わっていないという…やっぱり私は私なんだと少し安心もしました。
*
私はノンセクシャルです。性嫌悪気味でもあります。
以前は普通に異性とセックスできていました。むしろ積極的とも言える方でした。
「あまりセックスしたくない」と言う同年代の女の子の話を聞きながら、信じられない、かわいそう。とまで思っていました。
なぜノンセクシャルになったか考えると、いくつか理由が浮かびます。
ひとつは持病。
子宮内膜症があり、性交痛があるためセックス=痛いものと脳に刷り込まれています。
もうひとつは今まで関係を持った男たち。
今思えばいかにして性欲を満たすか、しか考えていない人たちでした。その度に傷つき、途中から慣れ、「またか」と思えるまでに成長できました。気付かせてくれてありがとう。あなたたちに出会えていなかったら、私はもしかしたら結婚…なんてことをしていたかもしれません。
最後に自尊心の低さ。
誰かが私のことを好きだと言ったり、私の体に対して欲情されたりすると、「なんでこんな私を求めるんだ。やめてくれ」と拒否反応を起こしてしまう。そんなとき、自分たちの姿がふと何かに写ったりしていたら死にそうになる。それが原因で関係を絶ったことが何度かあります。自意識過剰でもあると思います。
20代前半の、まだ性交痛のないときはいわゆる暇つぶしで適当に関係を持ったりもしていました。それくらいしか自分を満たしてくれる面白いことはないと思っていました。
もちろんまともな恋愛ではありませんので、その分自分に返ってきて何度も悲しい思いをしました。しかし、悲しい思いをする一方、そうすることで「やっぱり自分はこの程度の人間だ。いい思いをしようとしちゃだめなんだ」と、自分の位置を確かめているような部分もありました。今思うと一種の自傷行為だったと思います。
そんな中でも、何名かの変わった人たちは本気で私と結婚したいと言ってくれたり、別れ話のときに涙を流したりもしてくれました。しかしなぜか、そうされるほうが、ひどい扱いを受けることより断然腹立たしくて仕方がありませんでした。
そして、26歳の今は全くセックスできません。
何度かできるかどうか試そうとしたのですが、肌と肌とが触れた瞬間、言いようのない嫌悪感が背中からぞわっと湧き上がり、思わず目をぎゅっと閉じてしまいます。息をとめると少し楽になります。良かれと思って頭や体を撫でてくれるのですが、なんと言いますか、動物園のふれあいコーナーにいるモルモットはこんな気持ちなのかと分かります。早くベッドから出て服を着て家に帰ってシャワーを浴びて着ていた服を洗濯して布団に潜りながらTwitterでいつものメンバーのつぶやきを眺めていたい。そんな感じになります。
目の前の男がなんでそこまでしてペニスを膣に突っ込みたいのか分からないくらい、頑張って膣をほぐそうとします。中に金でも隠されているのかと思うくらい必死に。私はほぐされながら目を閉じ、婦人科の内診を思い浮かべます。そして、今までは私もこの男と同じように性欲に狂わされていたのかと思うと本当にこわいと思う。
今ではセックスできなくなってよかったと思います。
そんな経緯で、今は性欲も消え失せ、残ったのは睡眠欲と食欲でした。
特に食欲がすごく、仕事のない日は常になにかを口にしないと気が済まない。腹いっぱいなのに、もっと突っ込みたい。突っ込むために自炊も怠りません。手の込んだ料理もしますし、外食も行きます。食べることが今の私にとっての自分を満たすかけがえのない行為になりました。1回1回の食事が本当に楽しみで、寝る前は朝食のこと、朝は昼食のこと、昼は夜ご飯のことを考えていれば1日があっという間に終わりますよ。それに、食べ物は裏切りません。お金をかけたぶん美味しいものがいただけるし、自分で作るときは手間をかけたぶん美味しいものが出来上がります。食事はいい。
明日は気の合う女ともだちとランチに行きます。この幸せに気付けてよかった。私にはもう男はいりません。