セレモニー

死んだふりをしながら生きている30歳のブログ

家族3人で年越し

私の家系は親戚がとにかく少なく、親が離婚した今なんてほとんどいないに等しくなった。

もしかしたら会ったことのない微妙に血の繋がった親戚がいるのかもしれないけど、会おうとしても会えないと思うくらい遠い存在だ。

はじめての家族3人での年越しは、ささやかなものになった。私も母も年末まで仕事なので、大晦日は仕事終わりにコンビニやスーパーで各々食べたいものを買って帰り、いつもの時間に食べる。普段から節約が染みついている貧乏臭い家庭なので、奮発したとしても普段買わないお菓子があったり、少し缶チューハイがあったり、セブンの惣菜があったりって感じだ。あとは残り物でできた味の薄い鍋とか米とか。

年明けは毎年母の方の祖父母の家に、おせちを持っていく。おせちだけは私たち一家にしては奮発し、毎年1万5千円くらいのものを通販で頼む。

祖父母も全然裕福な訳ではないが、お正月は毎年ブリをまるごと買い、栗入りの赤飯を炊いて待ってくれている。今年も同じだ。

片道1時間半ほど田舎道を走り、今にも崩れそうな祖父母の家へ。すっかり腰が曲がってしまった祖母と、糖尿病の祖父が迎えてくれる。

祖父は腰の曲がった祖母をこき使う。祖母もそれに応える。私はそれを見るたび辛くなっていたが、ある日祖母が笑いながら「はよ死ねばいいのに」と言っていたので少しほっとした。

祖母をなるべく立たさないように私たち3人で料理を並べ、妙に彩度の高い正月特番を見ながら何でもない話をする。母の同級生の話、猫の話、私の仕事の話。祖父はいつも会話には加わらず、ストーブのそばの自分のスペースで犬とゆっくりしている。これがいつもの感じだ。私は未だに祖父とほとんど挨拶以外の話をしたことがない。

あまり長居すると祖母もしんどいし、祖父もイライラし出すので、3時間もしない間に帰ることにした。離婚し、家族3人でやっていくことになった私たちを心配しているのだろう。帰り際にはできる限りのたくさんの食べ物をくれた。お年玉も良い年をして3人とももらった。これで祖父母に何かお礼をしたいと思った。

帰り道、地元民しか来ないようなひかえめな神社があるので立ち寄る。古いお守りなどを納めて、お参りし、おみくじを引く。ここのおみくじは30円。お金を入れるとぽとんとひとつおみくじが出てくる。私は7年ぶりくらいの大吉だった。良いことが書いてあったので持ち帰ることにした。母は末吉、弟は吉。みんなも持って帰ることにしたらしい。神社からの帰り、細い道の向かいからヤンキーの男が車を飛ばしてきて、新年早々私たち弱き一家は死ぬところだった。

これで私たちの年越しイベントは終わった。次の日の2日には、ローカルで賑わうショッピングモールに行き、ハンバーガーを食べたり本屋をぶらついたり窓の結露吸水シートを買ったりした。なぜか、丸々として声の大きい健康そうな家族がたくさんいた。果物屋で柔らかくなった柿が5個100円で売っていたので買った。もう会うことのなくなった方の祖父がよくくれた柿だ。母に「便秘するよ」と言われたが食べたかったので買った。

日が落ちる前に帰宅した。いつもどおり、それぞれが担当の家事をする。正月気分が始まる前に現実に引き戻された気持ちだ。しかし、それでよかったと思う。長い休みが与えられたとしても、私たちはどこにも行けないだろうし、惨めさが増すだけだから。

残った味の薄い鍋にチゲ鍋のもとというものを入れたら美味しくなってよかった。そんな感じで、今年は一日一日を行きていこうと思う。おみくじにもそう書いてあった。

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